科学者の目で震災に向き合う

田中館 愛橘(たなかだて あいきつ) [1856-1952]

二戸郡福岡町(現二戸市)に生まれた田中館愛橘は、地球物理学や航空学など幅広い分野に業績を残し、日本の物理学の草分けとなった人物です。また、国際連盟知的協力委員として海外でも精力的に活動し、メートル法やローマ字の普及に努めたことでも知られています。

1891年(明治24)10月28日、愛知・岐阜両県を中心とした直下型地震「濃尾地震」が発生。死傷者2万4千余人、全半壊家屋24万余棟という甚大な被害をもたらしました。この年の7月にイギリス留学から帰朝し帝国大学理科大学教授に任ぜられていた愛橘は、文部省の命を受け、11月12日に震源地調査に入ります。この時に発見されたのが根尾谷大断層です。測量から戻った愛橘は、「地震そのものに対しては何とも致しようがないとしても、それから生ずる災害は、これを軽減する予防策を研究するのは国家として大切なことであるから適当な研究機関を創立したいものだ」として、菊池大麓(当時 理科大学長)とともに帝国議会に建議案を提出します。その結果、1892年(明治25)、観測に基づく研究に加え、理論的・実験的研究など地震を専門的に研究する世界初の組織、「震災予防調査会」が設置されることとなりました。愛橘は調査会委員として全国の地磁気観測を行うとともに、地震や火山噴火の際に即刻現場に出向く、「馳付け委員」として、駒ケ岳(北海道)や吾妻山(福島)の噴火、庄内地震などの調査に足を運んでいます。

参考文献

リンクをクリックすると、新しいウィンドウを開いて資料の詳細を表示します。