明治三陸大津波の被害を精緻に記録

山奈 宗真(やまな そうしん) [1847-1909]

陸前国横田村(現遠野市)に生まれた山奈宗真は、幼い頃から武士としての素養に加え、剣道・砲術・和算・地理・測量・開墾・植林を学んでいました。維新後は、牛馬の育成や養蚕を研究し、製糸場・私設農業試験所の開設や、当時全国唯一の私立図書館とされた信成書籍館の設置にも尽力しています。1896年(明治29)6月15日、三陸沿岸を大津波が襲います。津波により町がなくなったらしいとの噂がもたらされ、その後次々と判明する凄惨な状況に人々は驚愕します。この報せを聞いた山奈は、被害を受けた沿岸の産業を強く案じ、津波調査員として働きたいと県に願い出ました。このとき山奈は49歳、殖産興業の指導者・起業家として多忙な日々を送っていました。

山奈が自ら巡回に出ることを決意したのは、この調査が水産業の浮沈、さらには沿岸と中央部を結んでの産業経済振興に関わる一大事と認識したからです。復興につながる糸口を見出そうと、気仙村(現陸前高田市)から種市村(現洋野町)まで、総延長700kmに及ぶ複雑な海岸線を単身徒歩で踏査し、一人の死者も一戸の流失家屋もゆるがせにせず記録し、全集落を調査し終えるまで実に40日間を要しました。海嘯誌編纂資料収集事務の嘱託として記録をまとめた山奈は、1903年(明治36)に「岩手県沿岸大海嘯取調書」など7点を帝国図書館(現国立国会図書館)に寄贈しています。

参考文献

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