医療奉仕活動に尽力した県会議員

及川 栄(おいかわ さかえ) [1857-1932]

江刺郡選出県会議員の及川栄は、日本赤十字社正社員の医師でもありました。1896年(明治29)6月17日の朝、及川は新聞によって津波が沿岸地域を襲ったことを知ります。6月15日の明治三陸大津波です。及川は、医師としての職分を尽くすべく現地に向かうことを決意します。すぐさま自分の病院にある薬や包帯、器械などを用意し、役所や近村の医者にも救援をよびかけ、被災地に向かって馬を走らせました。

6月19日の午前9時に盛町(現大船渡市)に到着すると、及川は郡長や警察と相談して、特に被害の大きかった綾里村(現大船渡市)でお寺に病室を設けるなどして診療に当たりました。治療は連日午後12時まで及び、後から派遣された軍医たちとともに一ヶ月以上にわたって治療活動を続けていましたが、7月27日より臨時県会開催の通知を受け、及川は村を離れることになりました。患者たちや治療団に加わった人たちは、及川の献身的行為に涙を流して送別しました。

後日、及川には赤十字支部から日当旅費が支給されましたが、「たとえわずかであっても、雨露の苦難から彼らを守ることに使って欲しいと思うのみである」といって、これを受け取りませんでした。

この40余日の救援活動は、及川自らが成した『海嘯地出張日誌』に、詳細が記録されています。

参考文献

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