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第2章 自然主義歌人として

自然主義文学

自然主義文学とは、19世紀末にフランスでエミール・ゾラが提唱した、自然科学に根差した視点に基づく文学、及びそこから影響を受けた日本の20世紀前半の文学をいいます。

ゾラは自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定しました。ゾラの作品は進化論や『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説の中に自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き、見出そうとするもので、1900年代日本の文学界に大きな影響を与えました。坪内逍遥(つぼうち しょうよう)らによる写実主義を経て、小杉天外(こすぎ てんがい)は『はつ姿』、永井荷風(ながい かふう)は『地獄の花』などを著しました。日本自然主義は、島崎藤村の『破戒』、田山花袋(たやま かたい)の『蒲団』を経て確立し、「早稲田文学」を本拠に評論活動を行った島村抱月(しまむら ほうげつ)や長谷川天渓(はせがわ てんけい)も、自然主義文学の可能性を広げようとしました。しかし、自己に忠実な内面芸術であろうとするあまり、作家の私生活及びその周辺に題材は限られ、文学として小規模かつ社会性に乏しく、日常生活を芸術として表現することに終始した形になりました。

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歌壇と自然主義

企画展「第34回 啄木資料展」テーマ展示展示風景

日露戦争後、文壇に高まった自然主義の思潮は歌壇にも及び、明治41年(1908)11月、雑誌『明星』の廃刊を転機として、歌壇においては浪漫主義が退潮し、自然主義的傾向が前面に強く押し出されてきました。この頃から大正3年(1914)頃までの歌壇は自然主義短歌の時代といえます。

啄木によると、前勢力である浪漫主義歌人・与謝野鉄幹は「自然派などといふもの程愚劣なものは無い」と言ったといいますが、自然主義短歌は、表現上は平明率直な詠嘆や印象的・感覚的な描写、散文的な調子が著しく、内容的には現実の生活を凝視し、自己の真実に徹しようとして、そこに懐疑的、自己否定的な人生観がうかがわれます。

自然主義歌人としては若山牧水(わかやま ぼくすい)、前田夕暮(まえだ ゆうぐれ)を筆頭に、土岐哀果(とき あいか)、啄木(生活派)、吉井勇(よしい いさむ)、北原白秋(きたはら はくしゅう)(頽唐(たいとう)派)、島木赤彦(しまき あかひこ)、斎藤茂吉(さいとう もきち)ら(写実派)といった面々が活躍しました。

また、森鷗外が観潮楼歌会(かんちょうろうかかい)を催して浪漫派・新詩社と写実派・根岸短歌会の歌人たちを接近させたことは、近代短歌の進展に大きく寄与したと言えます。

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『食ふべき詩』

初めて公に自然主義に言及した評論『卓上一枝』を経て、明治42年(1909)に書かれた評論『弓町より(食ふべき詩)』を境に、啄木の短歌観や歌風には著しい変化がありました。啄木はこの評論で現在の詩観を述べていますが、詩の存在理由を肯定する唯一の方法として、詩を「珍味乃至は御馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物」のような存在にすべきだと説いています。そして詩人はまず人でなければならず、自分の中で刻々と変わる心の変化を虚偽粉飾することなく、正直に記載報告しなければならないとしています。時代の言葉で表現された口語詩や、現実生活に即した内容の詩を、啄木は求めたのです。

啄木は「財産なき一家の糊口の責任」の苦痛から、次第に「空想文学に対する倦厭(けんえん)の情」を感じ、「両足を地面に喰つ付けてゐて」「実人生と何らの間隔なき心持を以て歌ふ」ことを宣言しました。そして「私は最近数年間の自然主義の運動を、明治の日本人が四十年間の生活から編み出した最初の哲学の萌芽であると思ふ」と言っています。生活の中から生まれた哲学というのは、「いかに生くべきか」という課題です。

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啄木と自然主義

石川啄木『一握の砂』
東雲堂書店 明治43年

日本の自然主義文学は身辺をあるがままに表すことに心を砕き、社会的な広がりを持たないという指摘があります。文学を夢見がちで空想的なものから地に足の着いたものへと移行させようとしたことに、この思潮の意義は見出せますが、現実に即した中から人間的な共感を求めていこうとする風潮が広がる中で啄木は、「諸君は、詩を詩として新らしいものにしようといふ事に熱心なる余り、自己及び自己の生活を改善するといふ一大事を閑却してはゐないか」と問いかけます。そして自然主義を単に文芸上の問題と見て、あるがままを容認し何ら解決を求めないのは問題であるとし、自己、社会、国家と切り結び、これらを改善していこうという意識、判断力、勇気を持って創作に向かうことが詩人のあるべき姿と考えました。啄木は日常の経験や生活感情を率直平明に歌った点で、自然主義の代表歌人と言えますが、評論「時代閉塞の現状」では自然主義と強権国家の問題を述べて「今日」の研究と「明日」の必要の発見を求めており、やがてその作品には社会主義思想への接近、理解が歌われるようになっていきます。

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