ページの位置

  1. ホーム
  2. 海とともに
  3. 海の恵み

海とともに

海の恵み

海の恵みと人々の暮らし

産物御不審物図 3巻

岩手県立図書館所蔵(請求記号:60.9-4)

産物御不審物図 柳の前

「産物御不審物図」柳の前

幕命により書上げた盛岡藩領内産物のうち、形態不明のものを明確にするため、描いたもの。同書は三部作成されたと言われ、本書はその内の一部と伝えられる。

当館所蔵資料には、「常置左右」の朱印が押されているが、もりおか歴史文化館所蔵の同資料には「御書上産物之内より公辺御不審物並図」と題せんに記され、「奥御蔵書」と「鳳扇」(南部利謹の雅号)の朱印がみられる。幕府に提出したもの、奥御蔵に保管されたもの、閲覧用と分かれていたものであろうか。

御国中諸産物名所古跡書抜

岩手県立図書館所蔵(請求記号:60.9-2)

文政3年(1820)に長嶺将続が、盛岡藩領内の代官所(通)ごとに、産物と名所などを記したもの。

将続は、代官所下役などを務め、天保4年(1833)9月御作事奉行となり、盛岡城本丸大奥の普請を担当している。また、二代歌麿に絵画を学んだといわれ、長斎や清丸の雅号で絵師としても知られている。

当資料には、赤魚や干鮑などの海産物のほかに、磁石、鉄、紫根、真綿、十府菅菰なども見え、それぞれの産物にどのような税が賦課されているかも記されている。

御側御手取拾分一掟書

岩手県立図書館所蔵(請求記号:60.9-2)

五十集物(いさばもの)とは、魚の干物や塩物をいい、取り扱う商人を五十集といった。その積荷の価格の十分の一を藩に納めた税金を拾分一役という。

当資料は、魚の種類ごとに税割が記された一覧である。財政難に陥っていた盛岡藩は、三陸の豊富な海産物による収益に期待し、五十集を扱う商人などに税を請け負わせたり、運上金を上納させていた。『産物御不審物図』にある、魚「柳の前」は10本で銭1文が賦課されている。

俵物レプリカ

岩手県立博物館所蔵

江戸時代、長崎貿易の輸出品であった水産物をいう。元来は煎海鼠(いりなまこ)、干鮑(ほしあわび)の二品であったが、のち鱶鰭(ふかのひれ)を加えて三品とした。三陸海岸は、これらの有数の産地であったため、宮古鍬ヶ崎などには長崎俵物問屋の出張所ができ、直接買い入れなどが行なわれた。

覚(三閉伊十分一役請負に関する文書)

岩手県立図書館所蔵(請求記号:34-37)

慶応4年(1868)に藩から賦課された御礼金についてのやり取りをまとめた文書の写。

鍛冶丁定八(鍵屋定八、酒屋を本業に諸雑貨を扱う)が、拾分一役と煎海鼠や干鮑などの海産物取り扱いのために、6千両の御礼金を5年間にわたり上納するようにとの命に対し、万一のため保証人(請合)を本丁伊助(高田屋伊助、茣蓙屋)にすることを申し出、それが認められ家老名の証文が下された。煎海鼠や干鮑は、俵物と呼ばれ、江戸時代の重要な輸出品であった。

覚(大槌浦漁業関係資料)

岩手県立図書館所蔵(請求記号:68-13)

「両石浦沖漁船持」、その船頭らが「大槌浦船持・船頭」へ宛て記した定め書き。

「縄路」について度々口論となっていたため、文化10年(1813)4月に大槌町忠七と箱崎4ヶ村の船頭を仲立ちとして和談した。最初の条項に、どこの船であっても難船しているのを発見した場合、身命にかけて助けることとあり、海に生きる人々の心意気が感じられる。

三閉伊一揆

覚(野田通百姓一揆資料)

岩手県立図書館所蔵(請求記号:61.9-25)

盛岡藩最大の一揆として知られる嘉永6年(1853)の三閉伊一揆の首謀者である、田野畑村多助らの手配書。

役人による吟味があるので、見つけた者は捕らえるかまたは代官所へ申し出ること。万一隠し置くようなことがあれば、同様に吟味・沙汰がある。との通知が周辺の村に伝えられた。野田通の村々は長崎俵物に代表される海産物の産地であり、製鉄業も盛んであったため、財政難の盛岡藩はその産物を専売制とし増税を行った。加えて、蝦夷地出兵経費など海防強化にともなった負担の増加が一揆の要因と考えられている。

南部玉川集会録

岩手県立図書館所蔵(請求記号:61.9-4)

三閉伊一揆は、野田・宮古・大槌代官所管内の農民が、減税や役人減員などを求め、「小●(こまる)」の幟を手に大挙して仙台領に越境し救済を求めた事件である。盛岡藩が要求の大半を受入れることで落着した。他領で、一揆の成功例としてその様子を記した資料も伝わっている。

当資料は、「東奥桃生郡深谷北赤井邑住人喜源太」が仙台藩役人の取調べを書き写したもの。