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海とともに

海への畏怖

地震・津波

内史略(安政3年の大地震)

岩手県立図書館所蔵(請求記号:21.5-1)

内史略 后19 安政三年震害

「内史略 后19」安政三年震害

横川良助が記した前編24冊・後編20冊からなる盛岡藩の歴史書。前編は『奥南旧指録』『盛岡砂子』『登曽草紙』などから収録し、後編は藩の財政事情、百姓一揆、凶作などを採録したもの。

そのなかに、安政3年(1856)7月の地震についての記事がみられる。代官所ごとの災害状況や余震、津浪について詳細に記され、また津浪直前の鰹豊漁の逸話や災害後の救済措置についても記録されている。

海と信仰

東奥南部閉伊郡尾崎大明神縁起

岩手県立図書館所蔵(請求記号:16-83)

尾崎大明神は、釜石湾口南端の岬、尾崎半島にある海陸の守護神である。当資料によると、承久2年(1220)6月15日に亡くなった源頼基の廟所で、その後自害した七人の家臣も葬り7社の明神として祀られている。社もなく、古くから剣を神体として奉祭してきたと伝える由来記もある。奥書によると、安政4年(1857)に花巻川口町松野屋徳治が釜石湊で書き写したものである。本紙の間に防虫や防カビ効果があるイチョウの葉が挟み込まれている。

釜石尾崎白浜図

岩手県立博物館所蔵

横長の一枚紙の版画で、太平洋から尾崎白浜方面を俯瞰した図。

三貫島の位置や気仙境など実景と異なる部分もみられる。白浜に尾崎神社本宮(拝殿)があり、山道を岬に向かって進むと奥の院がある。剣が御神体として祀られている様子が描かれている。浦内に浮かぶ帆船や浜近くの仕掛けに止まる海鳥、浜辺で働く人や旅人なども生き生きと描写され、精緻に彫られている。

張込帳 岩手山図

岩手県立図書館所蔵(請求記号:04-9-1)

「釜石尾崎白浜図」と同じ作者による、岩手山を描いた版画。形態も同一で一連の作品と思われる。盛岡藩領内の名所を描いたシリーズの刷り物であろうか。

仏像・懸仏拓本集 広田黒崎神社懸仏拓本

岩手県立図書館所蔵(請求記号:21.9-20-1)

広田半島黒崎仙峡近くにある黒崎神社は、承安2年(1172)、山伏・源真により勧請されたといわれている。本宮は黒崎仙峡のすぐそば、はるか海上の船からよく見える位置にあり、沖行く船は帆を降ろして帆礼を行って通ったといわれ、古くから漁民の厚い信仰を集めていた。原資料は、明応5年(1496)に作成された木製の十一面観音坐像を配した懸仏で、当資料は裏面の陰刻された銘と表面の縁取り部分の拓本である。

見聞随筆

岩手県立図書館所蔵(請求記号:新09-65)

見聞随筆 三 宮古横山八幡宮縁起

「見聞随筆 三」宮古横山八幡宮縁起

横川良助が、自ら見聞きしたもの、手にした資料をもとに編纂した歴史書である。全国的な史料をもとに編集されているが、盛岡の大火など盛岡藩関係の記録もみられる。

そのなかに「奥州閉伊郡宮古横山八幡宮縁起」として、横山八幡宮の禰宜の伝説が収録されている。横山八幡宮は、盛岡藩主および藩士の崇敬も厚く、毎年旧8月15日の例祭には藩主の代わりに宮古通代官が参拝した。

銅鐘拓本

岩手県立図書館所蔵(請求記号:21.9-17-1)

原資料は、銅で造られた高さ57.8cm、口径38.18cmの鐘で、「大(泰)和六年丙寅正月日」の銘がある。「泰和」は中国東北部を支配していた金の年号であり、金で制作されたものと考えられている。元禄15年(1702)に釜石浦で漁師の網にかかり、それが盛岡藩主に献上された。拓本には、銅鐘上下部と撞部の宝相華唐草文が写しとられている。時に海は、思いもよらないモノまで運んでしまう。

内史略(釜石浦で銅鐘網にかかる)

岩手県立図書館所蔵(請求記号:21.5-1)

前掲の銅鐘について「元禄十五年壬午、閉伊郡釜石浦漁師の網に懸りて上る鐘、長一尺八九寸、差渡一尺位の小鐘也」「利視公下小路御薬園の中に、仮に撞鐘堂を被建差置給ふ」と記されている。引き揚げられた鐘は盛岡藩に献上され、6代藩主利視が造営した庭園(現在の盛岡市中央公民館)の心字池中島に建てられた鐘楼に安置されたことを伝えている。

海難・漂流

奥州気仙郡三之丞蛮島漂流記

岩手県立図書館所蔵(請求記号:22.9-18)

産物御不審物図

「奥州気仙郡三之丞蛮島漂流記」

天保10年(1839)11月、小友港(陸前高田市)から海産物を積んで、那珂湊(茨城県)に向かった6人乗りの小友船が、鹿島沖で台風に遭い、破船して漂流、南洋の孤島に漂着した。当資料は、翌年3月に銚子港に帰着した際の聴取記録である。漂着先は不明だが、南洋の島の生活が図入りで述べられている。この漂流記には多くの異本が残されている。異国の地を漂流しながら全員無事生還したという奇跡が、海に生きる人々の間で語り継がれてきた証である。