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早池峰神楽

山岳信仰

山岳信仰は、山に対して畏敬の念を抱き、神聖視して崇拝し儀礼を執行する信仰形態です。国土の約3/4を山地が占める日本では、各地で山を祀り、祈願して、祭祀芸能が奉納されました。

かつて山は、人々の暮らしとともにありました。山麓の農民にとっては水分(みくまり)の山であり、農業の根幹である水をもたらす源として崇拝されました。ドングリや栃の実、キノコなど食材も豊富で、山は実り豊かな富をもたらす生産の原点でした。また、森林は家屋の建築資材の供給源であり、薪炭の原材としても貴重な資源でした。

山岳を神聖視する観念には、死者の霊魂が赴く場であるという山中他界観もあります。仏教の影響も考えられますが、それ以前に死者を埋める墓が山の奥深くに定められていたことも関連すると考えられます。また、山は魑魅魍魎・鬼・天狗・山姥などが棲む異界でもあり、狼・猿・鹿・狐・狸などの動物は異界や他界の山から現れる神のお使いと考えられました。

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修験道

修験道とは、日本古来の山岳信仰が、仏教・道教・神道などの影響を受けながら鎌倉時代初期に成立した宗教のひとつです。修験道の実践者は、修験者あるいは山伏と呼ばれます。修験者・山伏は、霊山で修業を積み、それによって得た験力(げんりき)(加持祈祷などの効果)に基づき宗教活動を行います。

山伏神楽は布教の手段としても舞われました。山伏神楽という名称は昭和初期に本田安次が『山伏神楽・番楽』(1942)を出版した折に名づけられたものです。

加持祈祷を中心に、災厄を除き五穀豊穣・福徳を招来しようとする修験道は、冷害凶作に見舞われ続けた人々に特に期待されました。また、医術を身につけ諸国の文化芸能に精通した修験者・山伏によって文化流入が広範にもたらされました。

明治政府による神仏分離策・雑宗排除策によって明治5年(1872)に廃止されましたが、戦後、宗教法人格を取得するなどして活動を再開しています。

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早池峰山

早池峰山は、北上山地のほぼ中央にそびえる標高1,917mの主峰です。地理的には、花巻市大迫町、宮古市川井、遠野市の三つの地域に囲まれており、その各地に4つの登山口があります。

早池峰山は古名を東根(あずまね)嶽(だけ)(東根岳)といい、中世の時期に早池峰という山名になったと伝えられています。

開山にまつわる伝説では、大同2年(807)大迫の田中兵部という者が、額に金の星のある白鹿を追って山頂にたどり着き霊告を受けて開山したと伝えられています。

古代から山岳信仰の霊場として、人々の信仰を集める御山でした。その信仰範囲は、北上山地の旧盛岡藩領全域と陸中沿岸、旧仙台藩領の胆江地方などに及んでいました。また、修験道の道場として栄え、往時にはかなりの数の宿坊があったといわれています。この修験者たちによって、早池峰神楽が伝承されてきたといわれています。

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早池峰神楽

企画展「いわての神楽」展示風景

早池峰神楽は、早池峰山の麓、花巻市大迫町内川目地区の岳集落に伝わる岳(たけ)神楽と、大償集落に伝わる大償(おおつぐない)神楽の二つの神楽座の総称です。早池峰山を霊場とする修験者・山伏たちによって代々舞い継がれてきました。少なくとも500年以上の伝統を持つ非常に古くから伝わる神楽といわれています。

演目はどちらも、呼称の違いはあってもほぼ同じで、四十番以上伝承されています。最初に「打ち鳴らし」という神降ろしの儀式を行い、その後、六番で構成される式舞を舞います。式舞が終わると、神舞・女舞・荒舞・番楽舞などの演目の中から数番選んで舞い、ときには狂言を入れます。演目は、短いもので15分ほど、長いものは40分以上になります。最後は必ず権現舞で締めくくられます。

舞の中に能大成以前の古い民間芸能の要素を残していることから、中世芸能を伝える稀有な神楽として、昭和51年(1976)5月4日に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成21年(2009)9月30日にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

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岳(たけ)神楽

岳神楽は、岳集落にある早池峰神社の奉納神楽です。岳集落は、早池峰山麓の西南の登り口に位置します。

舞は5拍子で舞われ、テンポが早く勇壮と評されます。舞台に張る幕の模様は「向い鶴」です。

下閉伊郡の小国から常楽なる法印が伝えたとも、宮古の鎌津田左京なる法印が伝えたともいわれています。岳の早池峰神社には文禄4年(1595)銘の権現頭があります。

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大償(おおつぐない)神楽

大償神楽は、大償集落にある大償神社の奉納神楽です。大償集落は、岳集落より南西に15kmほど下った、岳川に流れ込む沢沿いに位置します。

舞は7拍子で舞われ、テンポが緩やかで優雅と評されます。舞台に張る幕の模様は「菊」と「桐」です。

早池峰山の開祖田中兵部の創立した田中明神の神主によって大償の別当に伝えられたといわれています。長享2年(1488)の銘のある神楽伝授書があります。

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