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神楽とは、基本的に神を祀るために演じられる神事芸能のことを言います。古くは神座(かむくら:神霊を招いて安置する神聖な場所のこと)を設けて神々を勧請(かんじょう)し、招魂や鎮魂(たましずめ)といった神事を行っていました。民俗学者の折口信夫によると、この「神座(かむくら)」が「かんぐら」「かぐら」と変化していき「神楽(かぐら)」という現在の呼称になったとされています。
神楽の起源は、『古事記』や『日本書紀』になどに書かれている「岩戸隠れの段」において、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あめのいわと)に隠れたとき、天岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神懸り(かみがかり)をして舞ったものがはじまりであるといわれています。
神楽は、宮中で行われる「御神楽(みかぐら)」と民間で行われる「里神楽」の二つに分類することができます。長保4年(1002)にはじまったとされ、現在も行われている内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)は、天皇即位の大嘗祭に催される琴歌神宴(きんかしんえん)や、鎮魂祭、園韓神祭(そのからかみのまつり)の神楽、賀茂臨時祭還立(かもりんじさいかんりゅう)の神楽、石清水八幡臨時祭の神楽などの古神楽が母胎となり、整理・統合した形で成立したものと言われています。現在は元になった古神楽はすべて廃絶していますが、この内侍所御神楽のみが途絶えることなく現在に受け継がれています。
内侍所御神楽は、毎年十二月中旬に宮中賢所(かしこどころ)の前庭に庭火を焚いて行われます。神楽歌をうたうことが主で、舞は採物の部の最後にある「早韓神(はやからかみ)」と、雑歌の部の「其駒(そのこま)」のみにあり、神楽の進行役である人長(にんじょう)が輪をつけた榊の枝を持って舞います。
御神楽が作られた平安時代には、公家・殿上人に地下(じげ)の楽人が加わり舞が夜通し行われていましたが、現在は宮内庁楽部の楽師が奉仕し、時間や曲目は簡略化されています。
宮中において限られた人々のみで継承されている御神楽に対して、巫女・神主・山伏といった宗教者や、民間の人々によって広く伝えられてきたのが里神楽です。里神楽は「巫女神楽」「出雲流の神楽(採物神楽/とりものかぐら)」「伊勢流の神楽(湯立神楽/ゆだてかぐら)」「奉納神事舞」「獅子神楽」の5つに分類することができ、その舞振りや衣装、道具などはそれぞれの神楽によって異なります。地域に根付いた神楽として、その地域の特色や歴史を反映したものもあります。
現在でも全国に多くの里神楽が継承されていますが、いつごろから民間で神楽が行われるようになったのか、その起源ははっきりしていないようです。