余禄

余禄1:高田松原を育てた先人たち

菅野 杢之助(かんの もくのすけ) [1617-1671]
松坂 新右衛門(まつざか しんうえもん) [1672-1754]

東北地方太平洋沖地震(※気象庁命名。地震及びこれに伴う原子力発電所事故による災害を「東日本大震災」と呼称)にともなう大津波により、国指定の名勝でもある高田松原は壊滅的な被害を受けました。背後に控えていた防潮堤さえも押し流されてしまいましたが、一本の松が奇跡的に生き残りました。

松原が広がっていた地域は、旧高田村と旧今泉村にまたがっており、もともとは木一本ない砂原で、潮風が巻き上げる砂塵と高潮とにさらされ、背後にある農地は収穫のない年もしばしばという有様でした。この状況を改善しようと立ち上がったのが、菅野杢之助と松坂新右衛門です。杢之助は高田村出身の豪農で、奉行の命令により防風・防潮のための松植林を行いましたが、後に私財を投じて植林を行っています。杢之助は松林の成長を見ることなくこの世を去りますが、彼の遺志を継いだ子孫の手により、数十年かけて松林が整備されました。新右衛門は仙台藩山田村に生まれ、長じて今泉村の松坂家に入婿しました。彼もまた、新田開発のために多額の私財を投じて松の植林を行っています。このように、先人の努力により白砂青松の景勝地となった高田松原ですが、過去幾度となく津波の被害を受け、壊滅の危機に瀕しています。そして、その度に松が植えられてきました。今は一本だけしかない松ですが、先人の遺志を継ぐ人たちの手により松が植えられ、いつかきっと、私たちの子孫の目を愉しませてくれることでしょう。

参考文献

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余禄2:古記録にみる大地震

貞観地震(じょうがんじしん)と東日本大震災

西暦869年(貞観11)5月26日、三陸沖で巨大な地震が発生しました。この時の記録が、平安時代に編まれた歴史書『日本三代実録』に残されています。貞観地震は今回の東日本大震災と比較されることが多く、震災以後、度々誌面で取り上げられています。過去の災害の記録を知ることは、我々が今後どのような防災計画を立てていくべきかを示唆してくれます。

五月廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝洄漲長。忽至城下。去海數十百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣為滄溟。乗船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遣焉。


5月25日癸未、陸奥国、地大いに震動す。流光、昼の如く陰を映す。しばらくして、人民叫呼し、伏して起つこと能わず。或いは屋倒るに圧死し、或いは地裂けるに埋もれてたおれる。馬牛、驚きてはしり、或いは相昇りて踏みつぶす。城郭・倉庫・門櫓・垣壁、くずれ落ち顛覆すること、その数を知らず。海口の咆哮する声、雷霆に似たり。驚濤涌く潮、泝洄し漲長して、たちまち城下に至る。海を去る数十百里、浩々としてその涯涘をしらず。原野・道路、すべてを滄溟と為す。船に乗るいとまあらず、山に登るも及び難く、溺死する者千ばかり。資産・苗稼あやういかな孑遺無きを。

  • 【墻壁(しょうへき)】まわりを囲うかべ。
  • 【雷霆(らいてい)】雷のひびき。
  • 【泝洄(そかい)】さかのぼる。逆流する。
  • 【滄溟(そうめい)】青々とした広い海。
  • 【涯涘(がいし)】水ぎわ。はて。
  • 【孑遺(けつい)】のこり。余り。

原文:『国史大系 第4巻』(吉川弘文館/1966)
読み下し文:『日本の歴史地震史料 拾遺三』(宇佐美龍夫/2005)

参考文献

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