後世の村を救った村長

和村 幸得(わむら こうとく) [1909-1997]

普代村出身の和村幸得は、1947年(昭和22)4月に38歳で当選をはたしてから、10期40年間にわたって普代村の村長を務めました。自身も昭和8年の昭和三陸津波を経験し、過去の大津波で多数の死者が出たことを教訓に、県営事業として12年もの年月と総工費35億6千万円をかけ、1984年(昭和59)3月に普代水門(総延長205メートル、高さ15.5メートル)を完成させました。「防災事業よりも集団家屋移転の方が経済的ではないか」という考え方もあったなか、土地の有効利用、生活環境の整備を計画的に推進することができるという効果の大きさなどから、着工を決定したといわれています。この普代水門と、太田名部防潮堤(総延長155メートル)は、2011年(平成23)3月11日の地震により発生した大津波から集落と村民の命を守り、被害を最小限に食い止めたとして注目されました。

1987(昭和62)年4月30日、任期満了退任に際して和村は、「村民のためと確信を持って始めた仕事は、反対があっても説得してやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産の言葉です」との言葉を残しており、名誉村民第1号に選ばれています。

参考文献

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