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第3章 わたしたちの方言

岩手方言の区画

岩手県の方言区画図(参考:『岩手百科事典』より本堂寛の図)

東北方言は北奥羽方言と南奥羽方言とに分けることができます。北奥羽方言は青森、秋田、岩手北部・中部、山形庄内、新潟北部を含み、やや西日本方言的な要素があるといわれています。南奥羽方言は岩手南部、宮城、山形内陸部、福島を含み、関東方言とのつながりが濃厚です。

このように岩手方言は、その内部が大きく二つに分けられます。全県の約3分の2を占める北部・中部地域(旧南部領)と、残り3分の1の南部地域(旧伊達領)の境界線は北奥羽方言と南奥羽方言との境界にもなっています。

日本語学者・本堂寛(ほんどう ひろし)は、主として語彙・文法の分布から、これをさらに小方言区画に分けました。

まず盛岡を中心とした純粋の南部領方言地区(中部方言地区)。南部領方言の要素を持ちながら隣接する青森・秋田両方言の影響を多分に受け、これら三方言の入り混じった地区(北部方言地区)。北部・南部を除いた沿岸地域(沿岸方言地区)。そして旧伊達領にあって、伊達方言の用いられている地区(南部方言地区)の4つの区画です。

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岩手の初期方言研究

『杜陵方言考』表紙

『杜陵方言考』内容

『杜陵方言考』小本村司∥著 明治22年(1889)
[当館所蔵]

南部藩士・服部武喬(はっとり たけたか)は寛政2年(1790)『御国通辞(おくにつうじ)』を著しました。この書は日常使用語彙およそ570語について14門に分け、江戸語と盛岡方言を対比して示したものです。寛政11年(1799)には黒川盛隆(くろかわ もりたか)の『谷の下水(したみず)』、明治時代初めには小本村司(おもと むらじ)の『杜陵方言考(とりょうほうげんこう)』(1877頃)といった語彙集が出されています。また、田鎖直三(たくさり なおぞう)は小学校の校長をしながら方言収集とその研究に取り組み、『東海岸方言』『気仙郡方言』など各地の方言をまとめました。明治36年(1903)国語調査委員会が全国の方言調査を実施して以来、各地域の小学校などでも方言調査が盛んに行われるようになります。昭和元年(1926)の伊能嘉矩(いのう かのり)による『遠野方言誌』は音韻についても詳しい説明があり、貴重な資料とされます。

その後、岩手県のみならず、日本の方言研究の先駆者となった橘正一が現れます。また、小松代融一(こまつしろ ゆういち)は主に語彙及び方言研究史の研究に業績を残し、数多くの論文・著書を著しました。本堂寛は言語地理学的研究や共通語化の実態研究を進め、佐藤亨(さとう とおる)は、方言の語史を明らかにしようとしました。

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アクセント・音韻

岩手方言のアクセントに関しては、特にも宮古を中心とした沿岸中北部地域では、東京式アクセントと体系的によく似ています。南部地域では、その中でも特徴的で曖昧なアクセントが多く見られるようです。岩手方言では、一語の中でアクセントが高くなるとすれば一音節だけが高くなり、それ以外は平板に発音されるという特徴が見られます。それぞれの地域のアクセントには体系があり、地域ごとのアクセント体系と各語の対応も、整然としています。

音韻の特徴としては、イ段の音は唇を丸めないウ段の音に近く発音され、逆にウ段の音はイ段に近く発音されます。単独の母音イはエに近い発音、逆に単独の母音エはイに近い発音となり、アとイが連続するとエやエァなどと発音される傾向があります。語中語尾のカ行音、タ行音は濁音化し、語中語尾のガ行音は鼻濁音となり、ハ行音はフの子音(無声両唇摩擦音)で発音されることがあります。また、語中語尾のガ行音・ダ行音・ザ行音・バ行音の直前には、多く鼻音が挿入されます。

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文法

岩手の方言では、文法上の特徴として、以下のようなものがあります。

  • 動詞の語幹がラ行化することがあります。(例:「起きら-」「受けら-」「来ら-」「寝ら-」)
  • 北部・中部地域では動詞「す(する)」に特徴的な活用形があります。(例:「さ-ない(しない)」「せ-ば(すれば)」「せ(しろ)」)
  • 動詞の未然形に「ば」が付くことで仮定を表します。(例:「行か-ば(行くならば)」「開(あ)けら-ば(開けるならば)」)
  • 主として北部・中部地域で、活用語の終止形に助動詞・助詞が付くことがあります。(例:「書く-す(書きます)」「居る-ども(居るけれども)」「見る-に(さ)-行く(見に行く)」「寒い-ば(寒ければ)」)
  • 南部地域では、動詞の連体形が音便化することがあります。(例:「乗っ-時(乗る時)」「来(く)っ-時(来る時)」「起きん-べえ(起きるべえ)」)
  • 可能表現として、動詞に助動詞「れる」が付きます。(例:「起き-れる(起きることができる)」「来-れる(来ることができる)」)
  • 北部・中部地域には、自発表現の助動詞「さる」があります。(例:「書か-さる」「起きら-さる」)
  • 意志・推量表現の助動詞「べえ(ぺえ)」は、終止連体形に接続します。(例:「行く-べえ(行こう)」「そう-だ-べえ(そうだろう)」)
  • 丁寧な表現の助動詞「す」は、名詞や活用語の終止形に付きます。(例:「いま、行くす(行きます)」「あれが岩手山す(岩手山です)」)
  • 過去表現の助動詞「たった」は動詞の連用形に付きます。(例:「行っ-たった(行った)」)
  • 回想・伝聞の助動詞「け」は活用語の終止形に促音が挿入されます。(例:「行っ-たっ-け」「居るっ-け」)
  • 格助詞「が」「は」は、省略または直前の語に吸収される形が多いです。(例:「雪降る」)
  • 方向・目的・結果を表す格助詞「さ」があります。(例:山さ行く)
  • 北部地域に格助詞「を」にあたる「ば」があります。(例:飯ば食う)
  • 並列を表す格助詞「や」にあたる「だの」があります。(例:あれだのこれだの)
  • 北部・中部地域に理由・原因を表す接続助詞「すけえ」「さけ」「へで」「はんて」があり、活用語の終止形に付きます。(例:「雪降るすけえ(雪が降るので)行かない」)
  • 逆の関係を示す接続助詞として、北部・中部地域に「ども」、南部地域に「けんとも」があり、いずれも活用語の終止形に付きます。(例:「雪降るども(雪が降るけれども)出かける」)

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アイヌ語

企画展「おらほのことば~橘正一没後80年~」展示風景

アイヌ人固有の言語「アイヌ語」と日本語とは言語学的に系統が異なるとされ、アイヌ語は方言ではなく別の言語として位置づけられています。日本語との関係について金田一京助は、アイヌ語の文法構造などから無縁であるとし、言語学者・服部四郎(はっとりしろう)は語彙や文法構造などから、必ずしも無関係とは言えないという説を出しています。

一般に日本語とアイヌ語、双方の語彙には貸借関係があるとみられ、日本語からアイヌ語に入った語や、数は多くないまでも、「サケ(鮭)」「エゾ(蝦夷)」のように日本語の共通語に取り入れられたアイヌ語があります。東北地方の山間部における狩人「またぎ(まだぎ)」が使う「山ことば」の中に取り入れられたアイヌ語もあります。山ことばはまたぎが山中だけで使用する言葉で、100語ほどが知られています。仲間内で用いられる符丁のようなものであり、忌み言葉とも捉えられます。

また、「-ナイ」「ポロ(ホロ)-」「-ウシ」などアイヌ語とみられる地名が岩手に多いのは、かつてそれぞれの地にアイヌ人の集団が居住していたためと言われます。

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方言の行方

企画展「おらほのことば~橘正一没後80年~」展示風景

昔は「ことばは国の手形」と言い、どんなことばを使うかによってその人の生育地が分かりました。交通が不便だった時代、各地域でことばの違いは大きかったはずです。やがて共通語化が進み、以前に比べ方言の差は小さくなりました。これは長い目で見ると、古代以来の方言統合過程の一環と捉えることもできます。各地で伝統的な方言を日常的に使う人は、若年層に減り、ある程度年齢の高い人に偏ってきています。社会の変化とともに、地域のことばも大きく変化しました。ユネスコは消滅の危機にある言語として、アイヌ語、八重山語(方言)、沖縄語(方言)など日本の8つの「言語」(方言)を認定しています。

一方、現代社会では、マスコミや交通の発達などを通じて、一般の人々が方言に触れる機会はむしろ増え、方言を積極的に評価する傾向も見られるようになりました。今でも全国各地で新方言が生まれ、他地域へと伝播しています。

方言はその底力を発揮しながら、今も様々な場面で活用されます。これは各地域に住む人々の、方言に対する強い思いの現れと言えます。

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